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松山の成り立ち

2020/02/02

愛媛に残る古代の痕跡 条理

今回は、愛媛に残る、古代の土地の区画割、「条理」について 池内が見ていきたいと思います。

 

今治の条理とその背景

 

大化の改新(645-701年)以後に制定される日本の律令制度の中で、今の県のような行政区は「国府」と呼ばれ、愛媛県=伊予の国府 は 今の今治にあったと言われております。

 

和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう-931年 – 938年頃)に編集された辞書には、伊予の国の国府は「国府越智郡在」と記載されております。越智郡の名前の由来は、この地域の有力者の一人であった越智氏から来ているのだと推定されます。越智氏は大化の改新以前、律令制の敷かれる以前の行政単位の一つである国造にも任命されており、古くからのこの地域の有力者であったことがわかります。

越智氏の祖先は、日本が朝鮮へ出兵した白村江の戦い(663年)にも伊予の水軍を率いて参加しているといわれます。白村江の戦いでは日本は大敗して帰ってきてますので、今治の統治を継続する上で、寺院を建立したり、中国や朝鮮からの新しい先進的な外来文化を積極的に取り入れることで地域をまとめるための様々な政策を行っていきます。

 

条理区画の設定

 

この律令制の定められた頃に、条理は制定されていきます。以前は、「班田収授制」という租税を取り立てるための仕組みのために、田んぼを均等に分けていったと言われていましたが、現在では この仕組みと条理区画の制定は別の流れで行われたことが濃厚になっています。具体的になにが原因となっているのかは、まだ議論されているようですが、そこに各地の有力者が関わっていたことは濃厚であるというのが、大方の見方のようです。

 

この条理の区画は東西南北にきっちりと向いていることが理想とされていました。これは京都や奈良などの広い平野の田の区画や街の街区割を見ていくと良くわかります。

 

この方位を当時どのように調べて、大地に線を引いていたのか?

これは日本に中国や朝鮮などの大陸から伝わった暦や天文書をベースにして行われたと考えられます。

 

そのなかの「周礼」の「考工記」と呼ばれる中国最古の技術書(紀元前の書物?)に、地上に竿を立てて、その点を中心に円を描き、日の出と日の入の影が円と交わる点をプロットして、その2点を結ぶことで、まず東西の軸を導き、その線の中点と円の中心を結ぶことで南北の軸を導く方法が記されています。

もう一つの「周髀算経」という中国最古の数学書(紀元前)には、冬至の早朝6時頃と夜18時頃に北極星を見て、星と地上に立てた竿の先端を結んだ線が地上と交わる2点をプロットして、「考工記」と同じようにその2点を結ぶことで東西軸を導き、その線の中点と竿を結ぶことで南北軸を導いています。

 

古代中国の数学者の一人である劉徽が著した「海島算経」という数学書には、測量などの数学を実用的に応用するための方法について記されおり、導かれた東西南北軸を田の地割を刻むために使われたと推定されます。

 

京都や奈良のような広い平野では、東西南北にきっちり向きますが、四国のような傾斜地の多い土地では、土地の傾斜に合わせて微調整をしていっています。

例えば今治の越智国府の条理では、海から山への傾斜の向きに従って、45度角度が振れています。

 

出典:国土地理院ウェブサイトより作成

 

条理の基本単位は約109mの正方形で、この約109mという中途半端な数値は1町という単位になります。1町は60歩 で、1歩は6尺、1尺は0.303mになりますので、360尺=約109mとなる計算です。この1町四方からなる単位を「坪」または「坊」と言われていたそうです。(この坪は、建物の面積で使われる坪とは異なります。)

 

今治の条理をズームアップして見てみます。

 

 

出典:国土地理院ウェブサイトより作成

 

今治の条理でも約109mの基本単位が見えてきます。古代の区画割が、現在にも残っていることが確認できます。

 

この区画割は当時はさらに10等分されて、その一つは段と呼ばれていたそうです。段の分け方には、大きく二つの方法があり、一つは長地型、もう一つは半折型と呼ばれます。

今治の現状の地割を見てみると、横幅は異なりますが基本単位を短冊状に切っていることが見えてきます。ここから、今治では長地型の選択がなされていたであろうということが見えてきます。

 

出典:国土地理院ウェブサイトより作成

 

愛媛には条理の区割りが比較的きれいに残っている地域が多いようです。これらは古代の比較的早い時期から発展し、大陸と中央を結ぶ航路となる瀬戸内海に属していたことが大きく起因しているのだと思われます。

 

ほかの愛媛の条理も見ていってみましょう。例えば、風早国造があったと推定される北条の八反地の國津比古命神社周辺を見てみます。

 

出典:国土地理院ウェブサイトより作成

 

こちらは、地形の影響を受けていますが今治よりも東西南北に沿った条理が形成されていることがわかります。ズームアップして近寄ってみます。

 

出典:国土地理院ウェブサイトより作成

 

今治の条理と同じように 約109mの正方形の区画割がなされていることが見て取れます。

 

出典:国土地理院ウェブサイトより作成

 

今度は今治の時の長地型ではなく、正方形を半分に分けてさらに区分けをしているので、もともと半折型で区画割がなされていた名残りなのではと推定できると思います。

 

次は律令制成立前後の遺跡である久米官衙遺跡群に近い松山平野の久米のあたりを見てみます。今度は東西向きの広い谷底平野に位置するため、ほぼ東西南北になっています。そして、同じように約109mの正方形グリッドのラインが見えてきます。

出典:国土地理院ウェブサイトより作成

 

最後に伊予の国造に由来があるとされる伊予神社の周辺

出典:国土地理院ウェブサイトより作成

 

みなさんも、自分の住む地域に残る 古代の痕跡を ぜひ探してみてください。

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