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2019/12/21

古い地図と新しい地図の比較から見えてくること、技術と自然のマッチング

今住んでいる環境、これから住もうとしている環境がどのような場所かを知るためのツール・サービスが最近はweb上にたくさんあります。今回は、そのなかで私、池内がよく使うツールの紹介とそれを使って私が考えていることを書かせて頂こうと思います。要点をまとめると下記のようになります。

 

1-今昔マップ とは?

 

2-土地利用 の 変化 古い集落と新しい集落

 

3-土地利用から見えてくること 変わったもの、変わってないもの

 

4-環境に馴染むための知恵 技術と自然のマッチング

 

1-今昔マップ とは?

 

埼玉大学教育学部 谷 謙二教授が公開している「今昔マップon the web」という古い地図と現在の地図を比較できるサービスがあります。

http://ktgis.net/kjmapw/

今昔マップ では、明治時代に作成された地図 と 現在の地図とを同時に並べて比較することが出来ます。左が明治時代の地図、右が現代の地図です。

全国のすべての地域を網羅しているわけではないですが、主要都市は概ね比較可能な状態に整備されております。自分が見たいエリアをクリックすると、はじめの左右に新旧の地図が並んだウィンドウが開かれます。

 

2-土地利用 の 変化 古い集落と新しい集落

 

今昔マップをズームしていくと、

左は黒い四角形がちょぼちょぼで、右は橙の四角形が密にあるのに気づくと思います。この四角形が建物を現しています。明治時代に比べて、いかに住宅地が増えているかを実感できると思います。

小学校の時などに勉強した地図記号を覚えていらっしゃる方であれば、下のマークの量の違いにも気づいたんじゃないかと思います。

 

 

縦棒の点々、これは「田んぼ」を表しています。今度は左の明治時代が田んぼのマークが広域を占めているのに対して、右の現在の地図にはほとんど見当たらなくなっています。

 

今昔マップは、明治と現代の比較だけでなく ほかにも色んな地図や航空写真との比較もすることが出来ます。右側の地図の「地理院地図」をクリックすると、下にウィンドウが開いて色んな地図の名前が出てきます。そのなかの例えば、1928-55をクリックして頂くと昭和初期の地図に変わります。

明治の時代と昭和初期の地図を比較すると、現代の時の比較と違ってあまり差がないように見えます。明治時代の環境は、昭和の頃まで継続していたことが地図の比較から見えてきます。

1966-68年をクリックすると、それまで田んぼだったエリアにも黒の四角形が急に増え始めます。日本が高度成長期に入り、古い集落の外側に新たな町が拡大し始めた様子が見て取れます。

1985年をクリックすると、さらに住宅地が拡大していきます。

1998-1999年 には、ほぼ骨格が出来上がります。

二つを並べるとほぼ昔の街は消え去ったようにみえます。でもよく見ていくと、昔の骨格が残っているのが見えてきます。

 

3-土地利用から見えてくること 変わったもの、変わってないもの

右の地図上でカーソルを動かすと、左のカーソルが一緒に動きます。その軌跡を赤く塗ったのが上の図です。古い街区がそのまま残っているのがわかると思います。一見すると新しい街に飲み込まれてしまって、過去の痕跡が消え失せてしまっているように思えますが、実はまだ残っています。仮にそこから建物がなくなっていったとしても、その骨格である街区は意外と全国でも残り続けています。同様のことは田んぼの区画などにもいえ、元の田んぼの区画がそのまま分譲地などの区画割として引き継がれていったりなどもします。

 

今昔マップは過去のデータを比較するだけでなく、洪水浸水エリアとの比較もすることが出来ます。画面左のメニューのデータセット選択の上の方へ視線をずらすと、地図不透明度という項目があります。最初は100%にセットされているのを、例えば30%にすると1903年の現代の地図が重なった画像に切り替わります。1903年の地図が薄くなった状態になったことで上下の地図を重ねて比較出来るようになります。

 

さらに、左の地図の右上の地理院地図をクリックするとリストに、洪水浸水想定(最大規模)重ねるハザードマップ をクリックすると下の現代の地図が、洪水ハザードマップに切り替わり、1903年の地図と洪水ハザードマップが重なった状態が表示されます。

ハザードマップと古い地図を重ねてみると、古い集落がハザードマップ上では比較的色の薄いエリアに集中していることに気づくと思います。これはなにが原因になっているか?

 

先ほど1960年代以降に建物が増え始めて、田んぼのエリアよりも建物のエリアの方がシェアが大きくなり、建物だらけで僅かに田んぼがある状態へと推移していったことを見てきました。この過密した宅地だらけの環境の中から不動産情報をくまなく探して住む場所を探している現代と違い、1960年代以前の田んぼの方が多かった時になにを拠り所にして集落の場所を選んでいたか?それは地形だと私は思います。

松山市の遺跡を地図上にプロットしてみると、浸水想定の外側にあるのがわかります。地形にもとづいて集落の場所を選んでいたからこそ、このような結果に繋がっていると思います。

 

地図の中で実は、地形というものはあまり大きくは変わっていません。そして、地形がすべての基礎となり、水の流れを定め、風の動きを定めて、いきます。

 

4-環境に馴染むための知恵 技術と自然のマッチング

 

環境に対して、対処する方法として、

環境を変えるのか?自分を変えるのか?二つの選択肢があると思います。

 

人の変化、社会の変化は、 自然の変化に対して 非常に速い速度変わっていく。農耕がはじまって、人が定住をはじめる。技術の進歩とともに、人の住むことのできる環境、農耕をおこなうことのできる環境が拡大していく。社会の進歩は、環境を変え、人を変える。二つの相互作用によって、変化の速度はますます早まっていきました。

 

技術の進歩は、生存の可能性を拡大してきました。その結果は人口の増加、平均寿命の延長として現れてきます。技術は自然に対するクッションとして機能してきたのです。

 

生活習慣病と呼ばれる病気、肥満という悩みもまた技術というクッションの悪影響の一例だといえます。人体という自然と社会/現代技術のミスマッチが、自然を暴走させてしまった結果だといえます。

 

古い集落、遺跡で見てきたように、近代化される前の住まいの基本は地形にありました。それぞれの地域で、それぞれの地形、そして自然に対して対応した暮らし方がありました。自然とのミスマッチは、直で生存の危険とつながっていたからです。

 

昨今の自然災害の一部が人災だと言われることは、生活習慣病・肥満のように自然と技術のミスマッチによって起こっているように思えます。そして自然のベースとなっているのは、地形です。古い集落や遺跡を読み解くことは、先人たちがどのように当時の技術と自然をマッチングさせて暮らしをつくっていたかを知ることにつながります。これからの技術をどのように自然とマッチングさせるかの鍵の一つは、古い集落や遺跡のなかにあると思います。

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